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職場だより

賃金は成果で決まるのか
                                    職場の一雑草

人事制度改定で職群別給与体系をより細分化しようとたくらまれている。これは扶養給をなくすことや住宅給をなくすことと機をいつにしているそれは、すべて賃金を低く抑えることだけが目的であって、決して成果に応じて配分しよう言うことではない。

では賃金はどのように考えたらいいのでしょうか。
  私たち労働者は労働力を売って賃金を得ているのであって労働力を使用して出来たものに対して賃金を得ているのではない。ではこの労働力の価値はいくらなのでしょうか。

労働力を使用して消耗した肉体や精神力を回復するつまり生きていくのに必要な衣食住がその時代の社会的平均値であらわされる。要するに労働力の再生産をするのに必要な経費といってもよい。資本主義では労働力の価値は価値どおりに支払われることはなく常に低く抑えられる傾向にある。この人事制度の改定を見ても明らかだ。
 その場合労働者は永久に労働に従事できるはずもなく労働者の再生産も必要となる。
 それが扶養給という名目で賃金に反映しているのである。これをなくそうなどとはとんでもないことだ。次代の労働者がいなければ資本主義は成り立たないのに。
(ここでは賃金を理論的に深く追求せず単純化して説明しましたが、もっと詳しく知りたいという人はマルクスの「資本論」を、優しく学びたい人は「賃労働と資本」をその他解説書等をご覧ください。)

しかも会社はこの扶養給・住宅給について属人的要素という表現を使っている。
 まさに、われわれ労働者を人間ではなくロボットか物扱いをしていることを露呈したものだ。そういえば5〜6年前の転進支援という名の退職強要のリストラやSBLでの他社への移籍強要といい、最近のSESSBSの自主退職他社への転籍は確かに人間性があれば出来ないことまさに血も涙もない属人的要素がまるでない理想的なかたちなんでしょうね。

また、一時金は賃金とは別物のように扱われているが果たしてそうなんでしょうか。
 歴史的に一時金が出来た経緯はともかく、現在一時金は生活費を補填する重要な収入です。これを業績配分といって企業の業績に応じて、また個人評価に応じて配分していると会社はいっているが、ロイヤルティを業績からはずし、目標が恣意的に高くされ、実績を極力小さく見せようとして、それでも数値が高くなれば、いろんな名目をつけて低く抑える。会社はこの一時金の配分方法を見直すといっている。

どんなにわけのわからない方程式を並べようが、ひとつだけわかることがあるそれは一時金を人質にして、成果を競わせ賃金全体を低く抑えること、これが会社の目的だ。その行き着く先は労働者にとってはバラ色ではなく過労死と精神疾患が多発する地獄絵となるだろう。いまこのたくらみを辞めさせなければ。組合幹部も同じ過ちをおかすことになることを肝に銘じることだ。

 

                     
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