第1回のテーマ
概要「日本共産党の紹介」シリーズ(4)

日本共産党綱領 第1章 戦前の日本社会と日本共産党(第2回)

戦前は、絶対的天皇制の下に、侵略と戦争の歴史だった
「年表」で見てみます。(新・日本共産党綱領を読む・不破哲三著から引用)

明治維新     (1868 明治1)天皇制政府成立   日本共産党史概略】
朝鮮に開国を迫る<江華島事件>( 1875 明治8)
大日本帝国憲法発布(1889 明治22)
日清戦争     (1894〜95 明治27〜28)、台湾併合(1895 明治28)
日露戦争     (1904〜05 明治37〜38)
韓国併合     (1910 明治43)
21ヵ条要求   (1915 大正 4)
シベリア出兵   (1918〜22 大正7〜11)
                           日本共産党創立(1922 大正11)
治安維持法制定  (1925 大正14)
                           大弾圧(1928・29 昭和3・4)
「満州事変」   (1931 昭和6)       直ちに戦争反対声明(1931 昭和6)
国際連盟脱退   (1933 昭和8)
                         党中央、解体に至る(1935 昭和10)
日独防共協定   (1936 昭和11)
日中戦争     (1937〜45 昭和12〜20)
日独伊三国軍事同盟(1940・9 昭和15)
大政翼賛会    (1940・10 昭和15)
真珠湾攻撃    (1941 昭和16) 対米英戦争(1941〜45 昭和16〜20)
ポツダム宣言受諾 (1945 昭和20)           
党再建(1945 昭和20)
 

上記に示したのが、歴史のあらましを捉えた日本の侵略と戦争の実質です。
 戦前は(侵略)戦争が繰り返し行われた事がよく見えてきます。
 日本共産党は、創立当初から非合法で活動していましたが、天皇制の下での侵略戦争反対を掲げるという事で「治安維持法を制定」し、大弾圧を行ない、天皇政府は日本共産党の活動阻止を策しました。

 なぜ、日本共産党が弾圧の対象となったのか?簡単に触れる事にしたいと思います。
 「日本共産党が社会主義共産主義の党だ」という事ではなく、「天皇制を否定して、本気で民主主義を求める党だ、天皇の名で行われる戦争に反対する党だ」という事実にあった事によるのです。
 社会主義を名乗る政党(社会民主党、社会大衆党など)は、離合集散を繰り返しながら、合法的な活動を続けましたが、「大政翼賛会」に合流し、消滅してゆきました。
 次回は敗戦を認めた「ポツダム宣言」をひもといてみようと思っています。

 

  ○関連リンク先





バナー